2018年、同じ歳の友人が病気になりました。
在宅治療の際も、彼女は実家に帰らずアトリエ兼自宅で1人と愛犬一匹とで生活をしていて、訪ねると、きちんとおもてなしをしてくれました。可能な限り、自分が生きたいと思う生き方をしようと思っていると言い、抗がん剤治療に入る際に「髪の毛がなくなったらちょうだいね」と長い私の髪を見て冗談を言いました。
その後、彼女は髪がなくなりホスピスに入りました。 私は自分の長い髪の毛を持って会いに行きました。 彼女は髪が短くなった私を見て、少し驚いてから「似合う」と言い、「私より、もっと意味のある人のために寄付をしてほしい。」と、予想した通りの言葉を言いました。
そして、「遺影の写真に(私と)2人で写っている写真を使いたいのだけど、(私の部分を)カットして使うのは忍びないので確認のために見て欲しい。」と言ってパソコンを開きました。パソコンを開くのもしんどそうだったけど、話したくて、ほんと、色々話たくて嬉しそうでした。
私たちは終始笑顔で、帰り際にぎゅっと抱きしめあいました。 彼女は半分くらいに細くなっていました。 次回、髪の毛の寄付先候補を持ってくるから一緒に選ぼうと話し、ペンのインクがなくなったから持ってきて欲しいと頼まれました。書いておかないといけないことが沢山あるんだと。 とりあえず私の持ってたペンと交換して、次にまた交換しようと約束をしました。
帰りは、彼女のお母さんと一緒のバスで帰りました。 彼女のお母さんは娘がどれだけ強いのかを話してくれました。でも、胸が詰まって、気の利いたことは何も言えなかったし、連絡先を伝え合うこともできなかった。
長くホスピスにいることになるんだろうと思っていたら、その後すぐに「病院に移ることになり面会ができないので、またホスピスに戻るときに連絡します。」とメッセージが。 そのまま電話もメールもSNSも応答がなく、音信不通になりました。
確認する手立てがなかったわけではないんだろうけれど、私は確認できずにいました。 毎日のように彼女がどうしているのか気になったけれど、コロナが流行りだし会いにはいけないと言い訳をし、何もせずに2021年になりました。
2021年の春に、ついさっきまで元気だった、少し歳上の友達が急に亡くなりました。 彼の死を悲しみながらも、なんだか悲しみ切れない気分になりました。 2018年から音信不通の彼女を放置したままで、目に見えている事にだけ悲しんでいる状況がとても自分勝手な様に思えたのです。
もう逃げれない。 どうにかして確認することができました。いや、きっと簡単に確認できた事だったんです。
彼女は2019年に亡くなっていました。 そして、それを伝えてくれた人が「偶然出会った時に撮らせていただいた写真」と、彼女と私の2人でいる写真を送ってくれました。 彼女はあまり自分の写真がないと言っていたけれど、遺影に使ったであろう写真と、今回いただいた写真の2枚には彼女のいい笑顔が写っていました。
2019年に亡くなったことを2021年に知ると言うことは、そんなに身近な関係性でなかったのだ。そう思ったりもします。
でもそうじゃなく特別だったとも思うのです。 彼女が生きていたら、確実におばあちゃんになっても友達だった。 亡くなったから思うのではなく絶対に彼女もそう思っていた自信があります。 ただ、知り合って、仲良くなってすぐに彼女に会えなくなってしまった。
2018年にカットされた、私のだけど、彼女のでもある髪の毛はまだ私の手元にあります。(ペンはペンたてにその他大勢に紛れています。)
寄付先は私が決めよう。さぁ、どこにしようかな。
でも、少し手元に残して、この世の中の混乱が収まったら、私が思う世界一美しい海に持って行こうと思います。
私の職場(というか好きな仲間が集まる場所)には、訪問してくださった皆様の写真が貼ってあります。そこに「死ぬまでにしたいこと」を書いてもらうようにしていて、彼女の写真には「世界一美しい海を見に行く‼︎」と書かれてあります。
私のせめてもの罪滅ぼしとして、自己満足として、世界一美しい海で彼女に想いを馳せたいのです。
その前に、私の髪はまたあの頃と同じ長さになっています。
また誰かのために髪を切ろう。
そう思う今日この頃です。